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代表取締役社長 堀江信彦 スペシャル対談

マンガ月刊誌の刊行や、時代を見据えたWEBマンガのアプローチ、さらには、海外向けのサイレントマンガオーディションを大成功させるなど、マンガ界の進化・発展に、尽力し続ける日々。

それらに加えて、幾多の人気飲食店をプロデュース・運営し、果てには、地域の人々との交流をはかるために“お地蔵さん”を建立し、「じぞうビル」と一風かわった名前の自社ビルまで建ててしまう。

極端なまでに広範にわたる挑戦。それらはすべて、シンプルにマンガへの、そして子ども達への深い愛情にもとづいたものだったーー。
(2013年5月13日収録)

Theme 06

ここ、吉祥寺の地から、未来の子ども達へ。
「なぜなら、僕は少年誌で生きてきたから」

ーー吉祥寺という街に対して、どういうこだわりがありますか?

堀江:ボクが新しく会社をつくろうと思った時に、秋葉原という街が一つの象徴としてあった。いわゆる“オタク”と呼ばれる文化だね。でも、秋葉原が象徴しているマンガ文化は、ある程度の暗号や予備知識が必要なものが多かったりして、それはボクたちが目指したマンガとは違うんだよね。何度も話したように、僕たちが創りたいのは、そういうモノがなくても世界中で理解されるマンガだから。だから、秋葉原とは場所を変えて、「それとは、また違うマンガなんだよ」っていうことを伝えたかったんだよね。

ーー秋葉原に対して、もう一つの価値観を育てたかった。

堀江:そうだね。あと、もっと単純な理由としては、原哲夫君や北条司君、そしてボクが吉祥寺で仕事をしていたからだろうね。僕たちは編集者として、漫画家さんに対して「こっちに来い!」っていうんじゃなくて、「僕たちが行きます!」っていうスタンスだったの。吉祥寺にいっぱい漫画家さん、いるんだもん。だったら吉祥寺に会社つくったらいいやっていう。

ーーそもそもの歴史として、なぜ吉祥寺に漫画家さんが集まるようになったんですか?

堀江:もともと中央線沿いに漫画家さん、役者さん、あとはミュージシャンは多かったんだよね。でもまあ半分は僕のせいだろうな(笑)。僕が西荻窪に住んでいて、どうしても仕事が忙しかったから、原君とか北条君とかに吉祥寺に来てもらったんだよね。当時、彼らは独身だったし、俺が勝手に部屋を探して「ここに住んでくれ!」って(笑)。

ーーそんな背景があったんですね。

堀江:そうすると、そこからお弟子さんがたくさん生まれるじゃない。森田まさのり君とか、井上雄彦君とか。そういう人たちがまたたくさん集まって、さらにその仲間が集まって……そうやって、『マンガの街』とまで言われるようになったんだね。あとはね、吉祥寺という街は、都会と自然が程よく共存した場所。都心に近くてアクセスもよい。そういう環境も、よかったんでしょうね。たくさんのアーティストが集まって、たくさんの作品が産まれていく。マンガにとってのハリウッドみたいになればいいなと思っています。

ーーここ、吉祥寺の街から、今後、どんな展開が発信されていくのでしょう。

堀江:まずはこのじぞうビルを使って、子ども達や親子で楽しめる企画をどんどんやっていきます。なぜ、ここにお地蔵さんがいるのかが、どんどん分かってもらえると思いますよ。だって子どもの声がする社会って素敵でしょ? 子どもの声がしないと寂しいよ。吉祥寺はまだ若い人が多いから、うっかりそういうことに無関心になっちゃうけど、田舎に行くと子どもなんかいないんだから。寂しいよ、それは。

ーー少子化の影響からくる、マンガのマーケットの縮小も見受けられます。

堀江:そうなんだけど、海外に目を移せば、実はまだまだ大きな市場がある。しかも、手塚先生たちが元々つくろうとしていたものは、そちら側に通用するものだったんだから。もう一度、そこを目指してマンガを創るのが、僕の使命だと思ってる。なぜなら、僕は少年誌で生きてきたからね。国境を越えていくマンガを創ること、そしてそれを創ることを志す人を支援すること。それがコアミックス、そしてノース・スターズ・ピクチャーズという会社の使命ですよね。

堀江信彦
堀江信彦
堀江信彦

編集者として、「北斗の拳」をはじめ数々の作品を生み出し、週刊少年ジャンプが最大発行部数653万部を達成したときに編集長を務めた。
その後、雑誌『メンズ・ノンノ』や『BART』編集長を歴任。
2000年6月(株)コアミックスを設立、代表取締役に就任。
原作家、脚本家として作品を作ると同時に、編集者の育成に携わり、作品の質の向上に力を入れている。
(株)ノース・スターズ・ピクチャーズ代表取締役社長を兼任。

1955年 8月17日生。
1979年 集英社入社。
1993年 「週刊少年ジャンプ」編集長就任、史上最高部数を記録。
2000年 集英社を退社し、コアミックス設立し社長就任。
2001年 「週刊コミックバンチ」創刊、編集長就任。
2009年 「カフェゼノン」開業。
2010年 「週刊コミックバンチ」休刊、「コミックゼノン」創刊、編集長就任。